瀬戸内 開 blog 〜面白き事もなき世を面白く〜

小説家 瀬戸内開のブログ。「新米オジン・クラーク救急医療現場を行く」 文芸社より刊行。2016年4月、紀伊国屋・三省堂書店にて発売。

初めての書下ろしで 瀬戸内 開 が新米小説家デビュー

 

 初めての書下ろし 小説「新米オジン・クラーク

                  救命・救急医療現場をゆく」

 この『書下ろし』は既に9年前の平成18年末には完結していた書き物である。

当時の新聞社会面・テレビ各局のニュース報道は、来る日も来る日も救急患者の病院受け入れ拒否=患者の盥回し=その事が原因で生き永らえたであろう命が奪われたとほぼ全てのマスメディアが “恰も救命・救急病院が悪の牙城” であるごとき報道をまき散らしメディアの正義面を吹聴しまくっていた。

 だが私が現場で見た目では全くマスメディアの報道とは大きく異なる。

 石原都知事が東京ER構想を打ち出した、為政者としては当然の政策である。

だが、受ける側は所詮役所だ!石原都知事の真意が全く体現されてはない。

 私はこの約2年前に「故あって乞われ」世田谷のとある救急病院に当直事務員として夜毎救急患者受け入れの窓口として働いていた。それも全く病院関係者としての経験皆無の身の上である。そうど素人だ!

 「故あって乞われ」とは、次の事情による。

 私は平成16年2月25日朝重い二日酔いで床から起き上がれなかった、妻に叱られ脅されて渋々隣の河田町クリ二ックに受診したところ、尿検査を血液検査をそしてエコー検査をと指示された挙句に“いきなり入院できますか”なんて驚かされて翌々日、東京女子医大病院にほぼ強制的に入院となった。

 翌月の3月9日、担当医師から妻・親族同席を指示され、前置き無しにいきなり【悪性の肝臓癌、それも相当に進んでおり余命10ヶ月あるかなしかです】と宣告された。

 “そうか、がん細胞に殺されるのか!と諦めるか、どうするかと癌宣告直後の入院の日々を逡巡しながら落ち込んでいた折、何ともアンノンナ輩が「おい瀬戸内!頼みがある、助けてくれ!」と病床に見舞に来た。「馬鹿野郎!何をいいやがる、助けて欲しいのはコチトラの方だ、癌でもう余命がねぇんだ!あほんだらー!」と怒鳴ると、此の輩、「馬鹿か!我見たいな奴が癌なんかで死ぬわけがねぇ!お前でなければ出来ない人助けだ、何とかしてくれ・・・」etc.

てなやりとりが12人病室内での会話であったが(他の同室患者が何とこの会話を聞いた事だろうか、中には死を覚悟していた人、助かりたい・助からない…など思い悩み苦しんでいた患者ばかりの病室でである)このアンノン輩が「助けてくれ!」と訴えてきたのが前段の『世田谷救急病院の当直事務員要請』であった。

 当然断ったがその後も執拗に迫ってきた、相手は『救急病院』だ、余命幾ばくもない末期癌患者を雇用するわけがあるはずがない、何をとち狂っているんだかとてんくら相手にしていなかったが、有る夜ベットの中で “そうだ!俺は死ぬんだ、そうかどうせ死ぬのならその前に人助け出来るのならやってみるか?『相手』が受けるとは思わないが” と閃いた。

 この夜の閃きがオジン・クラークの誕生につながる!

皆々さま信じられないでしょう・・・でもこれは全て真実です!

間もなく(株)『文芸社』と出版編集の具体的打ち合わせにはいります。

2015年1月10日  開