瀬戸内 開 blog 〜面白き事もなき世を面白く〜

小説家 瀬戸内開のブログ。「新米オジン・クラーク救急医療現場を行く」 文芸社より刊行。2016年4月、紀伊国屋・三省堂書店にて発売。

えっ、癌?ほんとに…ですか! ー肝臓癌再発ー

 今年の2月はじめ、とある【縁】を頼って文京区の「菊坂病院に軽井沢 医師」を訪ね「肝臓癌治癒後の定期間隔(3ヶ月毎)検診」を初受診した。

 昨年までの掛かり付け病院を変えた理由は毎回々々の診察で「何かと言えば酒が・タバコがと担当医がくどくどと口うるさく」うっとうしくなって転院を決意した次第、特に病院側に問題があった訳ではなく私自身の感情論の結果であった。

 普通、病院での診察となると一般的には「ドクター 対 患者」といった図式となるが、「縁」あってとの診察となるとこれが「ドクター 対 患者」から「知り合い 対 知り合い」といった図式に変わり、「ドクター・患者が相互に言いたい事・聞きたい事等を気楽に意見交換出来、相互間理解が格段に深まることとなり延いては病状の早期回復にもと多大な利点が生み出される。

 私は幸いにもそんな好縁に恵まれ消化器科の「軽井沢 医師」に今後の診察をお願いすることとなった。

 この日は消化器専門のドクター自身が直接エコー検査を執り行い「肝臓に2センチ位の影が見えるが取り敢えずは様子を見ましょう」との診察結果を伝え、次回は「4月上旬に再検査をしましょう!」との指示を受けてきたが、「ドクター・患者間の相互信頼が成り立っているので、「あっそうですか!解りました、では4月に・・・」との簡単なやり取りで「怪しげな影」には特に感慨もなく帰宅となった。  

 4月8日再び「菊坂病院」を訪ね直ちに先生のエコー検査を受けたところ、2月時点で2センチ大だった影が3センチ位に拡大していると言われ、直後に影の正体を精査すべくCT検査を受けたが、この検査でも明確な結論が見い出せないと先生は東京女子医大病院でのより高度な精密検査を提案され、翌5月11日改めて東京女子医大病院での精密検査に結論を委ねることとなったが、此処で紹介された医師が偶然にも12年前に私の肝臓癌治療に携わった5人のドクタークルーのうちの一人であった片桐医師であったとは驚きを隠せなかった。

「瀬戸内」さん!「星野先生」知っていますよね、後は「星野先生にお願いします、星野さんなら間違いないしベテランだから」と「軽井沢先生」が後を任された。

 「星野先生!」はい知っていますと答えはしたが、とは言えもう12年も前のことだ当時は「末期癌、余命十数ヶ月」と宣告され、死出の旅を入院病棟の大部屋で朦朧とあてもなくたださまよっていただけで確かな記憶は殆どない、ただチーフドクターの菊池医師と星野医師の名前だけがどういう訳か今も記憶にある。

 5月11日:「星野です」、「先生ご無沙汰です、またお世話になります」「うむ」の挨拶後いきなり朝一の午前8時からエコー検査が始まり、続いて採血検査・レントゲン・造影剤投与CT・呼吸器・心電図etcと丸一日中検査科を回され、ようやく午後4時頃に所定の検査が終了し、5時直前に「肝臓がンです、来月手術してがんを取り除きます」との検査結果及び入院・手術の具体的内容などの説明が施された。

 ちよっと驚いたことにここでも片桐ドクターが直々にエコー検査を執り行ったことである。結果は「肝臓に再び癌が発病」と情けない成り行きとは相成ったが、病院は変わっても「ドクターからドクターへと縁故の絆」が繋がっており、当の患者である私は至って気軽な日常的会話でドクターと意見を交わし合っているといった場面が継続していった。

 例えばこんな会話のやり取りである

「瀬戸内さん、やはり癌だったね、ハッハァッ!早いうちに手術しましょう」

「えっ癌?先生!ハッハァって笑ってホントに癌なんですか?」

「ん、癌!今ならね、3センチだから直ぐ治りますよ」

「えっえぇ~」

【なにレバ焼きですよレバ焼き、旨くはないけどね!】「今ならラジオ波で直ぐに焼き取れますよ、一時間も掛からないでしょう、肝臓に焼け火箸(注射)で癌を焼き殺します」

「え~っ焼け火箸ですか・・・熱い・痛いでしょう火箸注射!」

「痛いですよ熱いですこの注射!だから全身麻酔でやります、注射は3回くらいかな、まぁでも一時間ってとこだね、簡単ですよ瀬戸内さん!」

「簡単って言ったって・・・先生!」

「いや瀬戸内さん!手術は全身麻酔であんたはどうせ寝てるんだから…」「目が覚めた時にはもう終わってるんですよ手術はハハッ!」

「う~むまぁ・・・まぁそうですわねぇ…そうかぁ!」

「ただね瀬戸内さん!一つだけ絶対に守ってもらわないといけない事がある、【手術まで今日からタバコは絶縁】ということです」

「えっぇえぇっ、絶縁!」

「はい、【絶縁です】タバコは止めてもらわないと【麻酔注射】が効かなくなり手術が出来なくなります、言ってる事解りますよね…!」

「うむ~ん・・・」

「手術が終わるまでのことですからね、瀬戸内さん・・・絶縁ですよ、絶縁!手術が終わればまた吸えますからそれまでの我慢ですよ!」

 そうかぁそうだなぁ~、禁煙するわけじゃないしまぁ終わればまた吸えるんだからなぁ~、よしゃしゃないかヤメタレだぁ!てんでつまるところ医師の言うなりとなったが、これが意外と辛くも何ともなくあっさりと「酒・煙草」を合わせて謹慎してしまった。一週間・10日と日時が経過し何だ禁酒・禁煙って大したことないじゃん!とそのままアンノンに日々を過ごし6月20日の入院を迎え、いよいよ翌日午後の手術の時をむかえることとなった。

 手術は午後一番の予定と伝達されていたが、全身麻酔・酸素マスク呼吸での手術ということで感染症予防上「口ひげをきれいに剃り落とすように」との指示があり、洗面所で随分長い付き合いだったなぁとしげしげと眺め触りまくったうえで渋々と別れを惜しみつつその処理を済ませた。口ひげのない顔を久々に見て、あぁ俺ってこんな顔してたんだっとつまらなない自分の顔に出会ってあらためて呆れ果てた思いだったが、瀬戸内さん手術室に行きますと声を掛けられてほっと我に返り、ストレッチャーに乗リ移り手術室に運ばれていった。

 手術室への道々では5人のドクターが「手術は問題ありません必ず成功します大丈夫ですよ、麻酔がどうの酸素マスクがどうのとこうのなどと色々様々と説明」をしてくれていたが、当の本人は俎板の鯉で否応が言える立場・状況ではない、ただ素直にはいはいと答えるしか全く方途が無い実情下の患者である。尚且つ、私は手術による生死の結果などには既に憂慮の思いなどは無く、手術が成功すれば生き延びるだろうし失敗すればその時点で死ぬだけだといった淡々とした気分で施術室に運ばれて行った。

 顔上にはテレビドラマさながらの光景があった、そう観なれった風景と言うかマスクに白い帽子を被った医師達の顔・顔・顔だったが全員が女医だった、そしてこの俺の顔をその全員がが覗き込んでいたが何時の間にか麻酔が効いたのだろう意識が無くなって私を覗き込んでいた顔が消えていた。

 何だか人の声が聞こえたような気がした、「意識が戻ったようです!」とかなんとか…そのうち段々と人の声がはっきりと聞こえるようになってはきたが頭がややぼぉ~とした感じだ、「約1時間40分ですね!正常です」「瀬戸内さん目が覚めましたか?手術は成功です・気分は・気持ちは悪くないですか?」と言われたとたんに「うぉっ!」と吐き気・嘔吐に襲われたが口・復中からは何も出ずただ何かが出そうな「うぉっ・うぉっ」っといった苦しみに暫く襲われ続けた、「吐き気止め入れて!注入っ」と言ったような声が聞こえていたがそのうち薬が効いてきたのか吐き気は収まりいつの間にかまた眠気に引き込まれてほんの一瞬眠ったようだ。

 入院病棟への通路で「バㇱッ」そうバシッといった感じで目が覚め意識がはっきりとしてきた、「あちゃ~また生き返りだぁ…死ななかったかぁ~、まだ生きて苦労の日々に流されろってっか!「お告げなのかなぁ~しゃぁないなぁ~ふぅっ!」と何だかあまり嬉しくもない溜息をはいたのが麻酔からの目覚め第一感想だつた。

 まぁ考えてみたら自身は手術入院の前から「生・死」にはあまりというか全く拘りなどなく、手術が失敗したなら死ぬだろうしそうでなかったらまた元の生活に戻るだけだなんて、周囲の心配を余所に「アンアン・ノンノン」って言うのかないい加減な気分で入院、そしてそのまんまの感覚で手術・・・で目覚めて、あらまぁって経過である。

 世の色々様々な人達には「生きなければ・死ぬ訳にはいかない!」などの諸事情を抱えた患者さん方がほぼ全てほとんだと思われれるが、私はそんな方々には申し訳ないがまぁもし「手術が失敗なら死・失敗しなかったら生き延び」だぐらいの感覚しか持ちえなかった。こんにち術後3ヶ月を経過したが、今も生き永らえたいとは微塵も思ってはいない、死なないから生きているだけ・生を続けているだけである。 つづく