瀬戸内 開 blog 〜面白き事もなき世を面白く〜

小説家 瀬戸内開のブログ。「新米オジン・クラーク救急医療現場を行く」 文芸社より刊行。2016年4月、紀伊国屋・三省堂書店にて発売。

血縁:親族・親戚との関わりをどう考えるだろうか!

 血族の関わりが薄れて来ているがこれは何も今に始まった事ではないかも知れない!その昔から「兄弟は他人の始まり」とか云い伝えられてきているし、有史以来親子兄弟の争いは勿論のこと、太平の江戸時代においてもお家騒動は後を絶っていない。

 その歴史経過を反芻すれば、格別今の時代の現状を敢えて嘆くことでは無いのかもしれない、「歴史は繰り返す」ただこれだけなのであろうか・・・

 確かに世界有史の4・5千年来、人類は身内・部族・宗派・民族と仲間が仲間とにらみ合い・敵対し合い・殺戮を繰り返してきた、そしてなお現今においてもその身の毛のよだつような殺戮戦を世界の各地で飽くことなく拡散している。つづく

「一富士・二鷹・三茄子!」初夢に出て来なかったなぁ~、今日は正月二日書き初めの日だ、せめて「ブログ事始め」とでもいきますか!

 今年は「トランプ旋風が吹き荒れるのかなぁ~」、開としては或る意味大歓迎だが、これを機に我が国政府が「真の独立国家日本の出発年」として地球平和への「新世界秩序創世の大戦略・戦術外交」が生まれると実に嬉しい限りだが…さぁ安倍政権どう戦略舵を切るのかが楽しみだ。

 第二次大戦敗戦以来70年、うんざりするような長き年月に亘り「アメリカ追従外交に明け暮れてきた日本」、止む負えなかった国内外の事情は多々あったが、それにしても情けない・情けな過ぎた米国追従外交の繰り返しであった。

 国家は「曲りなりにも【国家と名乗る以上はいっぱしの独立国家】でなければならない、然しこれまでの我が国日本は哀れを絵にかいたような米国隷属の奴隷国家を演じ、世界からその外交姿勢を笑いものにされてきた。

 だが世界が今大きく揺れ動き始めてきた、アメリカ・EUの凋落・中近東広域世界の動乱・内戦・混沌が相次ぎ、その隙間をロシア・共産党中国が赤い舌をなめずり回して蠢き、世界の混乱が際限なく拡大して来ている現在である。

 私・開は、このような世界を今救えるのは「わが日本国の叡智・世界平和秩序戦略戦術外交の創出と実行」以外には有り得ないとものと確信している。

 最早「国際連合は既に過去の遺物」でしかなく、「国連」を世界平和の其軸とした世界外交は断じて世界を平和に導くことはなく、逆に人種・民族・宗教間のいがみ合い・殺戮を増長させる再生産機関として、世界が今即刻にでも葬り去らねばならない悪の牙城・最害悪機関である。

 トランプ大統領よ大いに燥げ!プーチン大統領もある程度はトランプと取引をするがよかろう!

 だが共産党中国・習主席だけは決して野放し・躍らせてはならない事だけは両国・両首脳共々肝に銘じ、今後の国際戦略・戦術外交を駆使しなければ平和は永久に来ないであろうことを常に念頭に置くべきである。

 然してこの現今混沌世界において、米・ロ・中・EUほか世界の良識ある国家群のなかで「我が国・日本国が真の世界平和への外交戦略・戦術」をいかにリーダーシップイニシャティブを取ってゆくかが「安倍政権の真骨頂・日本国の真髄」の見せどころであろうと今後を注視してゆく姿勢だ。

 我が国をとやかく言う政党や隣りの国々があるが、我が日本国は断じて【覇権を世界に繰り広げ実害を犯している共産党中国」などとは 別格な民主主義国家としてこれからの世界平和を追求してゆく真の「勇者の国家」である。

「書き初め」になったであろうか!

 以上 開

川柳の会「新春題:鳥・鶏」

新春川柳の会 宿題「鳥:鶏」(平成29年1月25日)

東天紅 そっちは西だ こけっこう」(中国では鶏は東天紅と鳴くそうだ)

ゆりかもめ 飛んでるようで 飛んでない」(モノレール&ゆりかもめ

「飛ぶ・走る ふたとうりある ユリカモメ」(同上)

「飛んでいる 走るのもいる ゆりかもめ

「飛ぶ・走る 大違いだよ ゆりかもめ

「コケコッコー 飛躍の年だ 鳳だ!」

「酉の市 鶏に関わり ない夜市」

  どうだろうこの程度の句で特選が貰えるだろうかな・・・?新春川柳句

 皆々様方に謹んで新春のお慶びを申し上げます。

今年も宜しく・・・! 開

新春川柳句 初詣の風景から

「大鳥居 晴れ着すがたの 三姉妹」

「縁起よし 梅の小枝に めじろ二羽」

「初詣(大鳥居) 年の離れた 三姉妹」(若い母親と長女・次女)

「猿が行く カウントダウン コケッコウ」

「後がない 間もなく猿が バトン酉」

 

ロナルド・トランプ氏が世界各国メディア予想を覆しアメリカ大統領選挙で勝利した!

 世界各国の名だたるメディアのほとんどがクリントン大統領候補の勝利を確信して様々なニュース報道をばら撒いてきた。当然ながら我が国メディアの無能集団も世界の様相に追従、全てがクリントン大統領の誕生を確信して報道合戦を繰り返していた。

 世界も我が国メディアも我こそが世論・われこそが正義だとメディア暴権力上に胡坐をかき続け、国民の声を無視し・世の流れに背を向けて来た結果がこの度のアメリカ大統領選挙報道の体たらくだ。

 だがこれだけではない、先の英国のEU離脱報道においても既にほぼ全世界メディアは同じ過ちを犯してきている。

 そして彼ら世界の全メディアが何らのこの結果報道の過ちを認知せず・反省もせず馬鹿げたメディア権力上に胡坐をかき続けている。最早世界のどこのメディアも完全に癌権力細胞に侵された末期症状で蘇生の見込みは皆無の事態である。

 だが救いはある、何だ・それは!それは・・・

 世界にはその国々にその国を愛し・その国を信じ・そしてその国に忠誠を捧げる国民の良心が連綿として生き続けており、それらを受け継いでゆく真の国民がいることだ。

   何日か前に「テレ朝の“橋下・羽鳥なんとか…と云う深夜放送で大阪維新の会【橋下 徹氏】のトランプ新大統領歓迎コメント」が放映されていたが、「橋下 徹氏」のコメント内容が私:瀬戸内 開のこのコラム主張と「ほぼ合同」であった事には驚いた、世間には似た考え方・主張:相似形はままあるが【合同型】は珍しい。

 私には橋下 徹氏は安倍総理とも主義・主張が合同型のように思われるが、私もどうやらお偉いさんお二人と相似より合同に近い頭脳形態のように思えてきた。

 私もかって自民党清話会代表の安倍晋太郎議員に「うちの事務所に欲しい」と乞われた事があった模様だが、その当時政務役を務めていた代議士が「党のシンクタンク要員を一事務所用員には残念ながら」と断ったとの報告を受けた経緯があった。

 この橋下 徹氏のコメントで私が常々このブログ発信してきた事柄が、我が国の有識者や一部前衛的識者達とそうそうかけ離れてはいないんだなという自信を得た。

 今後、益々確信を持って「瀬戸内 開ブログ」を発信できそうだ!有り難い限り…

 

遥か彼方の県体・柔道決勝戦「開」の神業を校長が講話!

 先月・平成28年10月22日(土)、故郷山口県徳山で50数年ぶりの高校同級同窓会・最終会合に招請があった。

 最後の会合だとのことで最初で最後の催しに意を決して参加することとしたが、流石50数年ぶりだ!殆どの仲間の顔が思い出せなかった。

 だがそんななか記憶にない二人のおばさんから手招きがあった、その席に伺い旧姓を教えられて「あっと!」瞬時に50数年前のその女子に思い当たった。「小谷洋子と云う女生徒」、当時はすらっとした背の高い弓道部の袴姿が眩しい娘であったことを思い出したからだ。彼女に出会ったのは幼馴染の悪ガキ仲間【アチャコ】が、弓道部に入部したとのことで道場を訪ねた折りに「おっぉっ!」と見染めたのがキッカケで、その後何度か弓道を習う振りをして顔を見に行った記憶がある。

 だが私の記憶は兎も角、当時私は身長153cmのチンコロで「豆炭・チビ」とかあだ名されて女生徒が振り返るような存在ではなく、そんな子がよく私を覚えていたものだと驚いたが、話の内容を聞いてようやく得心が得られた。

 事は確か、昭和35年秋の山口市で開かれた秋期県体育大会柔道決勝戦の私の試合を当時の松原学校長が見学しており、その試合の模様を後日校長が全校生徒に披歴、「人は体の大小ではない、頭脳を如何に生かすか働かすかで人・人の能力が大きく成長する或いは変わって行きます」と、県体会での私の戦い方そして勝利に至った展開の始終を壇上で説明し、日頃の勉学・部活での鍛錬は当たり前のことですが、そこに頭脳の働きを加えて勉学・部活に励むことが肝要ですと生徒たちに教えたのだそうです。

 この試合に我が校の弓道部他大勢が応援に来ていたのは知っていましたが、「当の小谷洋子さん」がその場に居たかどうかまでは知りませんでしたが彼女の思い出話の語りからは、間違いなく彼女は眼前で私の試合経過を見つめていたような口ぶりでした。

 このときの私の試合の相手は当時山口県でランキングトツプ5といった実力選手で3年生キャプテン二段、こちらは2年生で初段その場の誰もが私が一瞬のうちに投げ飛ばされるであろうと決めつけていたような雰囲気でした、勿論私も相手は相当の実力者で上級生だしこれは勝てる相手ではないなと覚悟のうえで対戦に臨みました。ただ対戦相手の得意技が「内股技一筋」だと心得ていましたから「さぁどのみち内股狙いだろう・どこで仕掛けてくるかだが簡単には負けないぞ!よし何時でも来い」との覚悟で相手の出方を見・伺いながらあわよくば得意の背負い投げで逆襲をと組んだところ、いきなり内股技が襲ってきた、相手の瞬時の内股技に何が何だか解らぬうちに体が勝手に反応して内また透かしで相手が勝手にでんぐり返ったところへ「えぃ!」と力の入った気合を吐き出していた。

 審判が「一本!」と張り上げた声が耳に響いて一瞬、えっえぇっ、何が起ったの!と自分でもその場の光景をを疑いました、何であんな技が瞬時に出てきたんだろうと自身でも不思議な感覚でした。確かにこの試合での一瞬の神業めいた光景は見ていた誰もが度肝を抜かれたかもしれません、当の本人がびっくり仰天の「頭脳・反射技的結果」の出来事でしたから。この試合の光景を松原校長が・「小谷洋子」さんが目の当たりにして語り広めて下さったようであった、有り難い事柄感激です。

 「彼女・小谷洋子」さんは私を手招きすると私を座らせもせず、胸につかえていたものを吐き出すような・ダムが堰を切ったような勢いで一気に松原校長の講話から自身の思い出話・結婚した旦那さんにまでも話したetcと熱く語りまくってくれました。聞いていた私も過ぎ去った50数年があっという間に消え、まるで昨日のことのように記憶が蘇って体の火照りが暫く治まりませんでした。

 私は中学3年時の春に徳山市全域の柔道大会で個人優勝をしたが、その試合の現場での対戦相手の流れを私は事前に読み取り、2回戦はNだろう・3回戦はSだろうな4回戦準決勝はHかTか、まぁどちらが勝ち抜いてきても勝てるだろうと下読みができていた、そして決勝戦だがこれは我が住吉中の大将Sか岐陽中の主将Tかだが多分技量面で岐陽中のTが勝ち上がりだろうと算段していたところ、予想道理にTが対戦相手として浮上してきた。

 私はこの頃どう云う訳か試合場の様々な選手達を見ているだけでこの選手には勝てる・あの選手にもと対戦前から勝ち勝負が見えていた。そこは自身でも不思議であった、直接対決しないうちから勝ちが見えていた。

 此のころの中学生活の一日は「授業ー部活(柔道)ー帰宅・夕食ー警察道場(柔道)-帰宅・学業(復習・予習)」の繰り返しであったが、警察道場での有段者との日々の練習・戦いが相当な実力を私に育んでくれたのではないかと想像された。

 また日常生活の中で「父からは人間は頭を使え・生きてるうちに脳を生かせ、更に見取り稽古・じっくりと見取り稽古で道・道を極めよ!」と、また「母からは予習・復習」をと日々口癖が飛んできたが、この【父・母の口癖】が柔道・学業にも相当以上のパワーを付与してくれたものと感謝している。

 そんな中学生活の中で柔道については、前段の徳山市中学柔道個人選手権においては当然ながら「決勝戦の相手Tにも負ける気はせず頭脳内の試合運びで描いた通リに相手を背負い投げで一本勝ちし優勝を果たした」。

 翌日の新聞には写真付きで報道されてちょっとばかり有頂天になった記憶がある。

 この柔道の活躍の流れが徳山高校に進学してからも更に強化・充実してゆき、「彼の小谷洋子さん」からの50数年ぶりのお出でおいで談話となった次第かなって、とても嬉しい徳山高校14期同窓会の一場面を感謝・感激で綴らせて頂いています。「小谷洋子」さん有難う!

 殊にこの度は幹事・池田信子様、石田公希殿には格別なるご高配を賜りました、またご同輩の皆々様に心から御礼を申し上げます。感謝・感謝 です。 

 

 

「新米オジン・クラーク救急医療現場を行く」初版が売り切れだって、超嬉しい~!

 うっひゃ~、バンザァーイ!

 全くの無名新人が書いたドキュメント「新米オジン・クラーク救急医療現場を行く」が売り切れちゃったなんて何てこと…う~ん、ちょっと嬉しい・悔しい・いや、ん…まぁいろいろあるのかなぁ…~

 そもそもこのドキュメントは、出版社・「文芸社」の進め通りに出版していれば既に7・8年前には世に出ていた代物であった。

 当時は「救急患者の盥回し=悲惨な死」事件が来る日も来る日もメディアに取り上げられ、救急病院がまるで悪の牙城が如きニュース報道が日々流されていたが、私はそんな毎日を救命・救急の医療現場に偶然居合わせて、メディア報道と救急病院の現実には異常な作為的乖離があることに気づきこのドキュメントを世に知らせたいと救急・救命医療現場の実態を記した次第である。

 従って「文芸社」の進言通りにこの時点で出版していれば、時節・まさにトレンド小説として無名の新人ではあったとしてもいま少しは却光を浴びていたかも知れなかったかなぁ~なんて悔いている。

 この同時期、私は知らなかったが全く同じ命題【救命救急患者盥回し=悲惨な死】に立ち向かっていた人物が佐賀県庁医務課(円城寺雄介氏)に居たようだ。

 昨年・平成15年の3月、偶然にTBSテレビ「夢の扉」という番組に出くわした。番組の内容を見て驚愕した。約10年位前の平成17・8年頃のことだ、全く同時期に東京と九州佐賀県で【救命救急患者盥回し=悲惨な死】といった同一命題で世に問いかけをしていた人間が私以外に遥か九州の彼方に居たということだ、驚いた!

 ただ此方の御仁は私とは違いメディアに注目されて国内では超有名人である。

  先月、10月29日(土)東京女子医大祭の「女子医大病院・東京医科大学病院ファミリサポートブース」に「新米オジン・クラーク救急医療現場を行く」を宣伝・展示即売の段取りで30冊を注文したらしい、が「在庫がありません!」と断られた旨の連絡が入り慌てて手持ちの3冊(なけなしの3冊)を提供した次第、この時点で作者の私も手持ちが無くなってしまった。

 たちまち心配になり今後の成り行きを「文芸社」に問い合わせたところ、世間の反応次第で現時点では社として何とも言えませんとの回答であった。

=山口県立徳山高校14期生同窓会=故郷の高校同期最終回の集いに参加して

 昨年、同期同窓会幹事から今年が最後の同窓会になるかもしれないといった案内状が届いた、昭和37年3月に卒業して以来かれこれ半世紀・50数年を数えてきたが、嘗て一度も参加して来なかった同窓会だ。そうか今回出席しなかったらもう昔の仲間とは合わず仕舞いで終わってしまうな、と思いつつも東京から1.000キロ・日程や旅費宿泊費等考えれば気が重くなり結局は無念ながら諦めざるを得なかった。

 処が今年初秋

      徳校14期の皆様へ =徳校14期同窓会の案内= 

平成28年10月22日 17時30分~ ホテルサンルート徳山                               山口県周南市築港8-33 ☎ 0834-32-2611

 なんて「最後の最後だといった脅迫めいた最終同窓会案内」が届き「うっひょう!」これは何てことだ、これでは何としても出ざるを得まいと覚悟を決め、万難を排して出席すべく通知書を返送した次第とは相成ったが、嬉しいことに主席幹事から思わぬサプライズ提案がなされ、今年4月出版の「オジン・クラーク救急医療現場を行く」を55冊・出席者全員に配布するので早急に送るようにとの指示手配が帰ってきた。

 「どっひゃ~!何て剛毅な主席幹事なんだ!!」とついつい有頂天、その場で舞い上がってしまった。出版はしたものの無名人の物書き本だ、そうそう買い手がつく訳もない代物だと覚悟は決めていたが、徳校同期のお仲間が10冊・10冊・20冊と出版社に注文を入れてくれて、この度は大口の55冊のオーダーだ!実に嬉しい限り、お仲間には唯々感謝・感激で合掌・東西南北の友に手を合わせ頭が下がるばかりの昨今だ。

 改めて徳校14期の皆・みんな有難う・ありがとう!心から御礼を申し上げます、ほんとうにほんとに有難うございます・合掌 

 平成28年10月22日午後4時半いよいよ大半が50数年ぶりのお仲間とのご対面とは相成ったが、同窓会場に入ってみて「ありゃりゃ~、あちゃー!分からん…」でちょっとばかり慌ててしまった。

 誰が誰やらほとんどの顔が予想外で思い出せず、動揺・狼狽えをかき消そうとよく知った何人かの顔に近づき、「おぅおぅ元気だったか・久しぶりだったなぁ!」と握手を交わしかわしして漸く落ち着きを取り戻すことが出来た。

 記念撮影や同窓総会式次第に沿った乾杯セレモニーなどが進行し、そのうちに何人もの昔の顔が思い出されてテ-ブルを渡り歩く毎に「おぅおぅ・やあやぁ」から個々別々の思い出話に花が咲いた。

 この同窓会で特筆すべきは東京の出版社【文芸社テレビ朝日系出版社)】から出版祝いの花輪が寄贈され、主任幹事の「池田信子さんによる格別な計らい」等により当方著作「新米オジン・クラーク救急医療現場を行く」が参加者全員に配布、尚且つ同書出版に至った案内までもが披露されて出席者全員からの賛辞が頂けたことであった。

 更にこの度は徳高14期同窓会最後の総会ということで東京・京都・兵庫・広島など県外から7名もの遠路参加者があり、会場が二段・三段と大きく盛り上がりを見せ最終回の大盛会を祝い合って散開した。

 何人かとの50数年ぶりの個々・別々の思い出話の極一部は別掲したが、幹事長の藤田・野球部の織田・クラス幹事野村・同高松さん・同小谷さんを始め東京から本庄さん・京都から中村・兵庫から森本や広島から角・そしてリターン組の岩本君などなどとは実に超久々な思い出話に大輪の花々が咲き誇り、あっという間の三時間が感激・感動・大満足のうちに過ぎていった。

 最終回のラストチャンスに唯々感謝・感謝である。

合 掌