「ミ☆マモカフェ」ってどうやら「爺の見守り女神のお城」のようだ!
今朝五階のエレベーターホールからコンフォガーデンの中庭を覗いていたら愛理ちゃんとお母さんの姿が認められ「愛理ちゃん、お早う!」と声を掛け手を振りました。愛理ちゃん・お母さんが手を振り返して応対してくれて何処かに出かけていきましたが、その後の私に幾つかの幸運が訪れました。
午後一に神保町の「如水会館」というところでやや派手な会合があり,そこで偶然のことでしたが「福田 靖」という演出家を名乗る人物に出会いました。「NHKの大河ドラマ龍馬伝とか民放局のガリレオ・海猿etc」などを手掛けた著名な演出家だと後で知りましたが、氏と名刺交換の機会があり出版書を手渡しするなどして「氏から是非読ませて頂きます」なんて社交辞令ぽっい返事なども受け一応は感激して帰宅した次第でしたが、内心はおおおっ、ひょっとしたら氏の口端から「オジン・クラーク救急医療現場を行く」が漏れて「瓢箪から駒」かもとの期待・希望への先々を思い浮かべました。心の底に「オジン・クラーク救急医療現場を行く」が世の注目を浴びてくれたらなんて幻想を追いかけている自身を素直に認めましたね。
まぁ、恥じることではありませんから堂々と今後も「オジン・クラーク救急医療現場を行く」を恥も外聞もなく「宣伝・号外」し続けて行くつもりではおります。
或る意味爺は無敵です、何しろ「ミ☆マモカフェ」って「女神のお城が爺見守りガード」を二重・三重にかこってくれています。それだけ「ミ☆マモカフェって本物のくったくのない母・子の関わりの中で爺は毎週水・金のミ☆マモカフェの健全な母・子達の見守りボランティア活動に参加し続け、そこに集う母・子達とほぼ家族といった関わり・ほぼ自然的といった時を過ごし「その場の幾人もの母・子女神に逆に見守られ続けているからです」。
多分今の世に私:爺ほど幸せな高齢男子は他に類例を見ることは無いでしょう。
今年2月に肝臓がんの再発が確認されました、精密検査結果後の5月20日に入院手術と段取りされましたが、私はちっとも怖くも何ともありませんでした。
「あぁ手術!はいそうですか」って淡々としたドクターとの会話の中で何時しか全身麻酔が効き意識を失っていました。「ミ☆マモ女神」のつづく
小池百合子政経塾≪都民ファーストの会≫への勧誘
政治に関与するのは超久々である、今年73歳、いささか年令を重ねすぎた感があるが小池百合子氏の提案が今夏の8月であった訳だからまぁ止むを得ないところだう。
まだ「都民ファーストの会」の内容が定かでないので推論でしか推し量れないが、多分「治国平天下」論ではないかと私は考える。「治国平天下とは個々の家庭が治まって始めて村や町・区市・都・国が治まる、天下国家が安寧平和になる」といったいにしえからの諺である。
都民ファーストの「都民」は個々の家庭或いは個々の人であろう、そしてその個々の人か個々の家庭が「第一義であり主体である:まさにその第一義・その主体無くして都政など有り得ない!」といったメツセ―ジだと私は受け取った。
ちょっと不謹慎な方向に話が逸れる!
私はお酒・女性が好きで酒席の場でよく女性をくどくいやめちゃ口説くね・・・そして相手の女性はと言うと私の言葉にはらはらと感動の涙を流し「私:爺」に心酔してその泣き顔ごと私の肩・胸辺りに預け込んでしまうといった場面が屡々だった。
その口説き文句が「実は【ファースト】の一言だったのだ!」ちょっと皆さん方にはこれだけではちんぷんかんぷん?ぬんなんだ、それ訳わかんねぇ~!って成り行きだろうが、「私:爺」は何時も大勢の面前で堂々と女子を泣かせているので現場承認はわんさかといる、そしてその子の顔が嬉し泣きでくしゃくしゃって感じだから周りの誰もが二人の間に入って来ない・来れない雰囲気・場面なのだ。
この【ファースト】に至る前段とラストのこれ【ファースト】が「私:爺」の十八番と言うか口説きの秘密事項だからここで詳しくは述べられない。だが対面の女性はお酒を飲み・笑い・泣き更に飲みながらもほぼ完全に「私:爺」に心酔・信頼しきってしまって翌日はほんどの娘や女性が二日酔いの模様だったらしい。
この横道逸れ話は女性口説きの自慢話をしたいが為ではない、【都民】・【ファースト】と言う言葉がどれだけ東京都民を心酔させ・信頼させる「言語力・語源力」をもっているのかを知ってほしかっただけである。
【貴方が一番です、貴方が幸せに安全に生きられない都政なんて有り得ません!】と小池百合子氏は全都民に訴えとのだと私は受け止めた次第でした。
今後は先ず「小池政経塾に入塾し勉学を積みます、多分私は皆勤学習となるでしょう。そしてその後は後進を育てる・後進に道を委ねる等々その後の東京・日本・世界をみすえることとなるのでしょうね・・・。
瀬戸内 開
瀬戸内 開 私の思想信条の原点は【自由・平等・博愛を原点とした民主主義国家を目指すこと及びこのことを基調とした世界平和を追求することである】
世の人々やメディアの連中は誰かが或る思想信条を吐露すれすかさず「アイツは右翼だ!いや左翼だ!」と直ぐに訳の分からぬレツテルをはる、馬鹿馬鹿しいにも程があるが残念ながら我が国の国情はそんな程度の「民度」の低さだ!情けない・・・
且つて田中角栄の番頭であった小沢一郎が世界外交の基調は「国際連合」云々だと言っていた、一時期いっ世を風靡していた政治家ではあったが、私から見れば野党から鞍替えして田中角栄に運よく引き上げられた程度の低いいち田舎者政治家でしかなかったの一語に尽きる、時代風潮もあったのだろうが当人も国民もレベルが低すぎた。
当時「世界平和を追求する」のであれば「世界平和の悪の牙城」が「国際連合なかんずく第二次大戦戦勝国の国際連合拒否権秩序の破壊以外には有り得ない」ことが明白であったにも拘らず、「その国際連合秩序放置したままで」我が国の外交基調を「国際連合決議」に従うとなどと馬鹿げた国家戦略・戦術を国是とした。そしてメディア各社並びに国民の大半がそうだそうだの大合昌だ、私はお前らアホか!でがっくりだった。
昨今の外交話題がプーチンが来るとか来ないとか、北方領土の返還か日ロ平和条約がどうのこうのと噂されているが、日ロ外交に関する限りは私は「我が国領土は全千島烈島・南樺太以南」を主張して止まない。その歴史的経過からして我が国政府の北方領土国是には断じて反旗を翻すものである。
第二次大戦で敗戦の憂き目にあったが、日ロ外交上は「ポツダム宣言受託後の国際法上のロシア軍不当・不法軍事占領・略奪を認めるわけにはいかない」。つづく
えっ、癌?ほんとに…ですか! ー肝臓癌再発ー
今年の2月はじめ、とある【縁】を頼って文京区の「菊坂病院に軽井沢 医師」を訪ね「肝臓癌治癒後の定期間隔(3ヶ月毎)検診」を初受診した。
昨年までの掛かり付け病院を変えた理由は毎回々々の診察で「何かと言えば酒が・タバコがと担当医がくどくどと口うるさく」うっとうしくなって転院を決意した次第、特に病院側に問題があった訳ではなく私自身の感情論の結果であった。
普通、病院での診察となると一般的には「ドクター 対 患者」といった図式となるが、「縁」あってとの診察となるとこれが「ドクター 対 患者」から「知り合い 対 知り合い」といった図式に変わり、「ドクター・患者が相互に言いたい事・聞きたい事等を気楽に意見交換出来、相互間理解が格段に深まることとなり延いては病状の早期回復にもと多大な利点が生み出される。
私は幸いにもそんな好縁に恵まれ消化器科の「軽井沢 医師」に今後の診察をお願いすることとなった。
この日は消化器専門のドクター自身が直接エコー検査を執り行い「肝臓に2センチ位の影が見えるが取り敢えずは様子を見ましょう」との診察結果を伝え、次回は「4月上旬に再検査をしましょう!」との指示を受けてきたが、「ドクター・患者間の相互信頼が成り立っているので、「あっそうですか!解りました、では4月に・・・」との簡単なやり取りで「怪しげな影」には特に感慨もなく帰宅となった。
4月8日再び「菊坂病院」を訪ね直ちに先生のエコー検査を受けたところ、2月時点で2センチ大だった影が3センチ位に拡大していると言われ、直後に影の正体を精査すべくCT検査を受けたが、この検査でも明確な結論が見い出せないと先生は東京女子医大病院でのより高度な精密検査を提案され、翌5月11日改めて東京女子医大病院での精密検査に結論を委ねることとなったが、此処で紹介された医師が偶然にも12年前に私の肝臓癌治療に携わった5人のドクタークルーのうちの一人であった片桐医師であったとは驚きを隠せなかった。
「瀬戸内」さん!「星野先生」知っていますよね、後は「星野先生にお願いします、星野さんなら間違いないしベテランだから」と「軽井沢先生」が後を任された。
「星野先生!」はい知っていますと答えはしたが、とは言えもう12年も前のことだ当時は「末期癌、余命十数ヶ月」と宣告され、死出の旅を入院病棟の大部屋で朦朧とあてもなくたださまよっていただけで確かな記憶は殆どない、ただチーフドクターの菊池医師と星野医師の名前だけがどういう訳か今も記憶にある。
5月11日:「星野です」、「先生ご無沙汰です、またお世話になります」「うむ」の挨拶後いきなり朝一の午前8時からエコー検査が始まり、続いて採血検査・レントゲン・造影剤投与CT・呼吸器・心電図etcと丸一日中検査科を回され、ようやく午後4時頃に所定の検査が終了し、5時直前に「肝臓がンです、来月手術してがんを取り除きます」との検査結果及び入院・手術の具体的内容などの説明が施された。
ちよっと驚いたことにここでも片桐ドクターが直々にエコー検査を執り行ったことである。結果は「肝臓に再び癌が発病」と情けない成り行きとは相成ったが、病院は変わっても「ドクターからドクターへと縁故の絆」が繋がっており、当の患者である私は至って気軽な日常的会話でドクターと意見を交わし合っているといった場面が継続していった。
例えばこんな会話のやり取りである
「瀬戸内さん、やはり癌だったね、ハッハァッ!早いうちに手術しましょう」
「えっ癌?先生!ハッハァって笑ってホントに癌なんですか?」
「ん、癌!今ならね、3センチだから直ぐ治りますよ」
「えっえぇ~」
【なにレバ焼きですよレバ焼き、旨くはないけどね!】「今ならラジオ波で直ぐに焼き取れますよ、一時間も掛からないでしょう、肝臓に焼け火箸(注射)で癌を焼き殺します」
「え~っ焼け火箸ですか・・・熱い・痛いでしょう火箸注射!」
「痛いですよ熱いですこの注射!だから全身麻酔でやります、注射は3回くらいかな、まぁでも一時間ってとこだね、簡単ですよ瀬戸内さん!」
「簡単って言ったって・・・先生!」
「いや瀬戸内さん!手術は全身麻酔であんたはどうせ寝てるんだから…」「目が覚めた時にはもう終わってるんですよ手術はハハッ!」
「う~むまぁ・・・まぁそうですわねぇ…そうかぁ!」
「ただね瀬戸内さん!一つだけ絶対に守ってもらわないといけない事がある、【手術まで今日からタバコは絶縁】ということです」
「えっぇえぇっ、絶縁!」
「はい、【絶縁です】タバコは止めてもらわないと【麻酔注射】が効かなくなり手術が出来なくなります、言ってる事解りますよね…!」
「うむ~ん・・・」
「手術が終わるまでのことですからね、瀬戸内さん・・・絶縁ですよ、絶縁!手術が終わればまた吸えますからそれまでの我慢ですよ!」
そうかぁそうだなぁ~、禁煙するわけじゃないしまぁ終わればまた吸えるんだからなぁ~、よしゃしゃないかヤメタレだぁ!てんでつまるところ医師の言うなりとなったが、これが意外と辛くも何ともなくあっさりと「酒・煙草」を合わせて謹慎してしまった。一週間・10日と日時が経過し何だ禁酒・禁煙って大したことないじゃん!とそのままアンノンに日々を過ごし6月20日の入院を迎え、いよいよ翌日午後の手術の時をむかえることとなった。
手術は午後一番の予定と伝達されていたが、全身麻酔・酸素マスク呼吸での手術ということで感染症予防上「口ひげをきれいに剃り落とすように」との指示があり、洗面所で随分長い付き合いだったなぁとしげしげと眺め触りまくったうえで渋々と別れを惜しみつつその処理を済ませた。口ひげのない顔を久々に見て、あぁ俺ってこんな顔してたんだっとつまらなない自分の顔に出会ってあらためて呆れ果てた思いだったが、瀬戸内さん手術室に行きますと声を掛けられてほっと我に返り、ストレッチャーに乗リ移り手術室に運ばれていった。
手術室への道々では5人のドクターが「手術は問題ありません必ず成功します大丈夫ですよ、麻酔がどうの酸素マスクがどうのとこうのなどと色々様々と説明」をしてくれていたが、当の本人は俎板の鯉で否応が言える立場・状況ではない、ただ素直にはいはいと答えるしか全く方途が無い実情下の患者である。尚且つ、私は手術による生死の結果などには既に憂慮の思いなどは無く、手術が成功すれば生き延びるだろうし失敗すればその時点で死ぬだけだといった淡々とした気分で施術室に運ばれて行った。
顔上にはテレビドラマさながらの光景があった、そう観なれった風景と言うかマスクに白い帽子を被った医師達の顔・顔・顔だったが全員が女医だった、そしてこの俺の顔をその全員がが覗き込んでいたが何時の間にか麻酔が効いたのだろう意識が無くなって私を覗き込んでいた顔が消えていた。
何だか人の声が聞こえたような気がした、「意識が戻ったようです!」とかなんとか…そのうち段々と人の声がはっきりと聞こえるようになってはきたが頭がややぼぉ~とした感じだ、「約1時間40分ですね!正常です」「瀬戸内さん目が覚めましたか?手術は成功です・気分は・気持ちは悪くないですか?」と言われたとたんに「うぉっ!」と吐き気・嘔吐に襲われたが口・復中からは何も出ずただ何かが出そうな「うぉっ・うぉっ」っといった苦しみに暫く襲われ続けた、「吐き気止め入れて!注入っ」と言ったような声が聞こえていたがそのうち薬が効いてきたのか吐き気は収まりいつの間にかまた眠気に引き込まれてほんの一瞬眠ったようだ。
入院病棟への通路で「バㇱッ」そうバシッといった感じで目が覚め意識がはっきりとしてきた、「あちゃ~また生き返りだぁ…死ななかったかぁ~、まだ生きて苦労の日々に流されろってっか!「お告げなのかなぁ~しゃぁないなぁ~ふぅっ!」と何だかあまり嬉しくもない溜息をはいたのが麻酔からの目覚め第一感想だつた。
まぁ考えてみたら自身は手術入院の前から「生・死」にはあまりというか全く拘りなどなく、手術が失敗したなら死ぬだろうしそうでなかったらまた元の生活に戻るだけだなんて、周囲の心配を余所に「アンアン・ノンノン」って言うのかないい加減な気分で入院、そしてそのまんまの感覚で手術・・・で目覚めて、あらまぁって経過である。
世の色々様々な人達には「生きなければ・死ぬ訳にはいかない!」などの諸事情を抱えた患者さん方がほぼ全てほとんだと思われれるが、私はそんな方々には申し訳ないがまぁもし「手術が失敗なら死・失敗しなかったら生き延び」だぐらいの感覚しか持ちえなかった。こんにち術後3ヶ月を経過したが、今も生き永らえたいとは微塵も思ってはいない、死なないから生きているだけ・生を続けているだけである。 つづく
物語 「もしもバスツアーズ」 作者:遠山公子
子供の見守りボランティア仲間、サリー・ナウシカ女子大学の現役学生「遠山公子」ちゃんが、またまた面白い物語をホームページに発表していた。
表題の通り「もしもバスツアーズ」と何処かのテレビ番組名を捩ったような「物語名」であるが、これが中々ユニークでその内容についつい引き込まれてあっと言う間に終いまで読み切ってしまった。
出だしは秋葉原辺りだろうか?華やかなAKBまがいの歌手・タレント達の世界に入り込んだかと思いきや、いきなり助さん格さんが出現・水戸黄門の時代にタイムスリップ、そして坂本竜馬が出てきたりと幕末時代に移行したりと時代を行き来するバスツアーで、頭の中で時代々々がうろちょろと行き交う物語構成となっている、いやはや愉快愉快の傑作だ!次のURLを是非是非検索、ご覧頂きたい次第です。 瀬戸内 開
http://s.ameblo.jp/tooyamakouko/ entry-12140852971.htmi
別物語「とも」これもいい!
明治時代のとある漁村とおぼしき村に生まれ育った「とも」と云う女性が、親や村人の誰もが勧める理想的とも思われる結婚を断り通し、自らの意志を貫いて終にその村を脱出して他郷に生地を求めた「回想録」である。
是非自らの意志で生きてゆく女性の生き方を見習って欲しい。 瀬戸内 開
http://s.ameblo.jp/tooyamakouko/ entry-12076994718.htmi
「辛い・悲しい・悔しい・・・神様!懺悔・祈り・・・希望・光・幸せ」ー或るうら若き女子大生の呟きー
昨年とある有数な国立女子大学の学生と知り合いになった!
人は生まれ育つ環境の中でその人の思いや意思に反した色々・様々な壁に遮られ閉ざされ、挫折・遠回り・突き破る等々の葛籐・生きざまのもつれを掻い潜り今の自分を生きて来ている。思い出したくもない数々のキズが心の片隅には潜んでいる。
かと思えばほっと口元がほころぶような思い出もそこここに出て来たりもする。
が、総じて明るい思いよりも暗い・辛い・思い出したくない思いのほうが心のおおいははるかに大きいような気がしてならない。
勿論、逆の人も当然ながら相当数はいる。「あの頃は楽しかったなぁ~、あの思いは一生忘れられない」とその思いに浸りつづけ生きている人達もたくさんいる。
人は様々である、だが皆々その人その人の生き方である!
人類は万物の霊長と豪語・嘯く輩がいるが、私は人類が万物の霊長などとは決して思ってなどはいない!
何故なら、万物の霊長ならば霊長同士がいがみ合う・戦いあう・命を奪い合うなんてありえないでしょう!違いますか?
人類は万物つの霊長などではなく、たまたま一種類動物が「脳」の進化・発育の過程であらゆる生物に抜きんでたと驕り高ぶっているだけに過ぎません。
ただ、一つだけ他の生きものと唯一異なるところは「人類だけが自らの生・命を自ら絶っ能力を持っている」といった一点だけです。
ベースは宇宙、なかんずく銀河系の中の太陽系です。短絡的に言えば太陽がもしも消滅すれば人類はおろか霊長など全く「何それって」感じで宇宙のチリ同然でしょうね!
ですが人類はそんな際どい宇宙の刹那に生きています。太陽は無くならない、地震来るかもしれないけど多分自分は大丈夫!とほとんどの人はアンノンノに生きています。私もそんな一井人かもしれません。
元に戻りましょう、宇宙の砂粒以下の些細な生き物が「生き方に」悩んでいるようです、個々の生です、個々がせい一杯生きようとしています。
親・諸先輩がその個々に失敗のないようにと色々様々ダメダシを教えます、其処に新しい生の生き方と生のベテランとのギャップが衝突し、千さ万別の親子の離反・融合の劇場場面が展開されていくような今日的生きざま模様です。
親子は決して「敵対などしていません」相互の価値観が行違っているに過ぎないのですが、その差がお互いの話し合い・コミュニケーションの不具合でただ理解しあえないだけなのです。
大切な親子です、そう大切な親子ならじっくり話し合えば親子納得の決論は左程時間を要しません。要はお互いがお互いを本当に大切ならば相互がきちっと向かい合い意見・主張を述べ合うことでしょう。
ただ時間差・時代差・親と子といった差はなかなか埋め尽くせなく、相互の建設的理解・思いやりの心が必要でしょうね!
自分の人生・今日に満足している親は自分が歩んできた道を子供達に同じように歩ませようとするでしょう、自分の人生・今日に満足していない親は自分のようになってはならない、してはならないと子供達に自分が辿った道とは違った生き方を求めるのでしょうね?
ですが、ここに双方の親御さん達に重大な過ちが潜んでいます。
それは何でしょう!ちょつと、ご理解を頂きずらいかもしれませんね・・・
それはどちらの親御さん方も、ご自分たちの子供さん方を、親御さん達がご自分の自由自在に育てられると・またご自分の思う方向に育て上げられるとの、間違った思い込みで子供さんたちを育てていることが、間違いの元・元凶なのです。
先ず、子供が自分のものだとの思い込みから間違いが始まります。
お母さん方が10ヶ月近くお腹の中に育んで来て生まれ出てきたお子さんですから「私の子・宝物・大事に育てなくては」とお考えになって当然です。ですが、生まれてきたお子さんは、お母さん・お父さんとは【別人格の新しい人】なのです。
乳幼児の頃まではまだ生まれたての小動物ですが、だんだんと育っていくに従い「自我」・自質」が備わり始めその子の人格が目覚めてきます。いつまでも私の可愛子ちゃん・宝物と思い続けていると「親子間に亀裂」が出始め、年月とともに拡大しその修復が難しくなっていくことでしょう。
生まれ出たお子さんのDNAはご夫婦だけのDNAではないでしょう、ご夫婦の先祖伝来の様々なDNAが何時どこで誰に発露するか分かりません。その意味ではご夫婦とは似ても似つかない子どもさんも生まれ出てきて不思議ではありません。
人は偉そうにいっても、人は単に動植物の一種類です!性の営みで次の世代へと順次後継を次の世代に送り出します。これは多分太陽の消滅か、或いは地球上から人類が人類を滅ぼさない限り永遠に繰り返されることだと思われます。
話を元に戻しますが前述のような事柄で、人の世は世代が繰り返し繰り返され続けても多分似たような類似事情は無くならないのではと逡巡する次第です。 開