瀬戸内 開 blog 〜面白き事もなき世を面白く〜

小説家 瀬戸内開のブログ。「新米オジン・クラーク救急医療現場を行く」 文芸社より刊行。2016年4月、紀伊国屋・三省堂書店にて発売。

北方領土返還がロシア政府と政治問題化してきた事に一言

 以前の記述でも指摘してきた事であるが、「我が国の北方領土は【千島烈島・南樺太以南及びオホーツク海南東海域を包括した領域】である。いつの頃か我が国政府は「北方領土」はといえば「択捉・国後・歯舞・色丹」と第二次大戦戦勝国に謙り萎縮して馬鹿げた領土国是を表明した。まさに我が国自らが国際法を無視した国是発信であった。

 ここ数年世界的な政治・経済・社会の混沌が深刻化しており、今後の世界の成り行きが危ぶまれている。原油の下落・ロシア天然ガス下落による中近東産油国・ロシア経済が窮地の事態に陥っている、同時に中国共産党政府の経済政策破綻が追い打ちをかけ、さらには中東の内乱・政情不安がユーロ圏への莫大な数の難民流入でヨーロッパ各国へも危機状況が差し迫っている。

 だがこれだけではない、南米諸国においても其処かしこに火種を抱えた国々があり、米国経済も回復途上でまだ先行きは楽観が出来ない現状である。勿論、我が国も円高急進で予断を許さない経済情勢である。

 今まさにこの様な世界情勢の中で、ロシア政府が我が国からの経済支援を狙って「北方領土返還といった飴玉」を出し入れしている。北方4島(択捉・国後・歯舞・色丹)の帰属は長年の政治課題ではあったが、「我が国の北方領土は前述の通り【千島烈島・南樺太以南及びオホーツク海南東海域を包括した領域】である」(この領域は国際法上は今日も我が国の領土であつて、終戦直後、旧ソ連邦、現ロシア政府が一方的に略奪・蹂躙し支配し続けているのが現実である)。

 北方4島が第一次返還領域であり、その後第二次・第三次と南樺太・千島烈島全域返還が協定に明記・確認されるのであるならば「ロシアの飴玉に舌を伸ばす」ことは決して吝かではない。

 だが北方4島【択捉・国後・歯舞・色丹】の返還だけで北方領土問題が完全解決というのであれば、我が国政府の為体は見過ごすことが出来ないであろう。

 私は斯様に考えている。瀬戸内 開

「オジン・クラーク救急医療現場を行く」出版書が3月29日の「毎日新聞全国版3面に掲載広告」された模様だ!


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 今日(4月8日)文芸社から、平成28年3月29日づけの「毎日新聞全国版」が送られてきた。

 この新聞の第3面下部分に5段抜きの文芸社出版書広告が掲載されていた。左端の目立つ位置に私、瀬戸内 開の「オジン・クラーク救急医療現場を行く」の広告が掲載されていた、嬉しい限りである!

 ただ、全国紙に広告宣伝されたからといってこの本に読者が付いてくれるかどうかは全く別問題であろう!勿論興味を持って読者の方々が増えて下さればこの上ない幸せであり、また多分本書は読者の方々にそれなりの貢献が出来るものと自負もしている。

 筆者は、「ER」・「救急医療現場」の包み隠しない実態をいつかは必ずお世話になるであろう読者の方に唯々お知らせしたかっただけのことである。

 救命救急医療現場に搬送される救命患者・救急患者の搬送直前の事態から搬送受け入れ・受け入れ後のたちまちの状況を眼前に見聞した実録を文書化しただけであり、私自身が、嘗ての人生からは無縁・縁も所縁もなたった場面での「初見聞」で日々驚きの現場であった次第です。

瀬戸内 開

 

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「オジン・クラーク救急医療現場を行く」出版記念会in【ミ☆ママモ―レ(通称:ミマモカフェ)】

嬉しい企画が提案・実現の運びです!

 

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 3月31日(金)正午から、ミマモカフェ恒例の「お花見会」が新宿御苑の何時もの桜の木の下で開かれました!

 今年の「お花見会」は桜がほぼ満開の時期にぴったんこかんかんで「ミマモのお母さん方・子達の日頃の行いが【流石!】」といった好日に恵まれました。殊にこの日は「桜の満開と好天気」に見舞われ、ミマモ集合時間には、お花見客が既に門前に長蛇の行列を為し、大変な賑わいの中での「お花見会」となりました(お花見会の記事・スナップは近日公開の予定です)。この「お花見会」は15時過ぎにはお開きとなりましたが、その約2時間後の18時には「瀬戸内 開」の出版祝賀会の席に「お花見会」の全員が、再び総勢「ドレスアップの上でダブルへツター参加」をして下さいました。

  瀬戸内 開 「オジン・クラーク救急医療現場を行く」 出版祝賀会 

        防衛省前のとある宴会場 on「ミマモカフェ」

 こんな処で「出版祝賀会」なんて【三島由紀夫】もびっくり仰天でしょうね!ウㇱッ

 これはもう大変な「出版祝賀会」でしたね!よ~くよく考えてみてください、此処にご参集のお母さん・お子達って皆さん大切な旦那様・お父さん方を差しおえて「爺:瀬戸内 開」のためにここまでお付き合いをしてくださいました。まさに驚異です!有難うございました、感謝・感謝ただ感謝です。

 幹事のM・T・T・Fさん始めご参加のお母さん方がお得意の料理・お摘み等々を手造りで提供して下さり、何とも言えない感動・感激のひと時を添えて頂きました。終生「忘れ得ぬ思い出」です。心から御礼を申し上げます(祝賀会風景後日掲載です)。

 ミマモカフェのでの祝賀会が出発点でしたが、これが導火線で高校の同級会や各地の徳山岐山会(広島)が順次発表会などを企画してくれている模様です。

 嬉しいですね!感激・感動・感謝感謝です・・・

瀬戸内 開

 

 

 

 

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米長邦夫と云う将棋指しがいた、中央大学の同級同クラス生である!

 【 米 長 邦 夫 】将棋界ではかって一世を風靡した男であったらしい!が、私は目指していた世界というかジャンルが違っていたので彼のニュースなどに出くわし、「おっ活躍しているな!」と言った程度の関心しか持たなかった。

 余計なことを書き足せば彼は無類の競馬好きでもあったらしいが、競馬は私も40年来の付き合いで過去どの位負け続けてきたか思い出したくもないほどである。

 旧田中角栄派の竹下 登 元総理にも可愛がられたらしく、その後、派閥は違ったが清話会(旧福田派)の石原慎太郎都知事から都の教育委員にも指名されたが、病に倒れまだ若くしてこの世を去った。

 この記事を書くきっかけとなったのは、故郷山口の徳山高校同僚柔道部員であった「野村賢史」君が、或る酒席の場で「米長先生・米長師匠」と言った一言であった。

 大学2年の1学期中頃のことであったと記憶しているが、授業を待つ教室でいきなり「瀬戸内、ちょっと相談がある!」と、それまで一度も話したことなどもない「米長」から話しかけられた。同じクラスで1年間講義を受けてきたからお互いに顔だけは見知っていた。

 えっ、何だい俺なんかに?と不審に思ったが、何時だか大学の将棋部に同郷の同級生「角 健太郎」君を訪ねたことがあった。ひょっとしたらその将棋部で「米長」が同クラスの俺を見たのかもしれないからかなと思ったりもした。

 彼がその場で切り出した言葉は「俺は一浪して大学に来たが、将棋が好きで実は今プロの弐段だがこのまま大学に居たほうがいいのか、いっそ大学を辞めてプロを目指したほうがいいのかを迷っている」と言ってきた。

 「おいおい、米長!なんで俺なんかにそんなこと聞くんだよ?俺は空手部に入ってクビにはなったけどもともと武闘派で将棋界の話なんかはチンプン・カンプンだぜ、なんで俺なんだよ・・・」と問い返すと「米長」は「お前を見ていたらちょっと他の学生とは違う気がした、だから頼む話を聞いてくれ!」と言い返され、そうか!お前がそうまで言うのなら役には立たないとは思うがと断り、じゃ俺の見解を話すよと自身の信条を「米長」に話した。

 俺の信条はこうだ「米長、お前は今プロの弐段だといった、そして将棋界を目指したいという考えを持っているともいった、【もし米長!その考えがお前自身の本心ならば】大学なんて道草・遠周りもいいところだ!直ぐにでも辞めてしまえ!」と自分の考え、生き方を言いきった。

 彼は夏休みが終わって二学期から顔を見せなくなったが、彼がその後どのような判断・結論を出したのかは私は知らない。

 その後遥か時の経過の後、彼は幾つかのタイトルを取り将棋界の著名人とはなったが俺との音信は不通であった。

瀬戸内 開

【1819会】山口県立徳山高校第14期・在関東勢の集い

 確か1989年(平成元年)の夏だったと記憶する、我が母校野球部が「甲子園に出場」した!

 県立の進学系高校の我が校体育部が全国大会に出場などとは伝統ある「柔道部」以外には考えられなかった時代である。結果的には1回戦で日大山形校に敗退したが、母校が甲子園に出場したことで在関東に在住の同期生達が顔を合わせようということになった。【1819会(S18年・19年生まれ)】の始まりである。

 その年の10月1日、「柴又帝釈天矢切の渡し場」近くの料理屋の2階で第1回目の14期生同級会が招集された。

 高校卒業後凡そ27・8年ぶりの出会いであったが、剣道部出身で当時防衛庁に勤務していた「岩本紀之」君が初代幹事を務め、約30数名が参加したと記憶している。

 その後は漸次幹事が交代しながら年々の14期総会を繰り返しながら、何時の年か「中山嗣元」君が常時幹事で四季毎のミニ交換会が始まり・定着し、「有楽町ニュー東京店」を拠点とした【1819会】なるものが「和気あいあい」の会として継続していったが、昨年「ニュ―東京」の改築で暫く水を空けている。

 いずれ、どこかの段階で「中山」幹事が四季折々の企画、再開を目論むことと思われるが、我々お仲間は今か今かと氏の提案を待ちわびている。

 同窓会・同期会なるものは数々あるが、「中山」幹事がリードする四季毎の交流会などは先ず他ではお目にかからない集いであろう。

 遥か1000キロ彼方の故郷からの我々である、シーズン毎の交流は何よりの憩いの場である、嬉しい・感激・・・何とも有り難い限りである。

毎日新聞全国紙に【オジン・クラーク救急医療現場を行く】が広告掲載(3月下旬)

 出版元の「文芸社」から標記のような案内があった!

 ド素人が世に問う初めての「出版小説」で全く自信が無い。更にそもそもを言えば、人様に見せる目的で記述した「書き物」でも何でもなかった代物である。

 かれこれ7~8年前になるが「ニチイ学館」からの派遣社員として、とある大学病院の救急外来受付係に配属され、「電子カルテ」等の作成上パソコン習塾の必要・急務に迫られ、試行錯誤の後「世田谷救急病院での出来事」を思い出し々々入力練習を積み重ねていったところ、いつの間にか100枚近くの物語が出来上がっていたのがキッカケであった。私としては「書き物・小説」どころではなく、ただただパソコン習塾に熱中・夢中になっていただけであったが、結局は救急受付現場でのパソコン操作が侭ならずその大学病院はクビとなってしまった。

 63歳からのパソコン手習いで右往左往の日々ではあったが、この高齢期で派遣社員とは言え確かな職場で仕事が出来ることに意気揚々としていた折、突然のクビ通告で再び意気消沈の底に落とされてしまった。

 だがそんな時分偶然目にした「貴方の書き物を小説にしてみませんか!」といった新聞広告に出会い、ふとパソコン練習で纏まっていた「書き物」に思いあたり、「そうだ!俺の文章力ってどんなもんだろう」と試してみたくなり、新聞広告の「文芸社」に投稿てみた次第である。

 処が驚いた!「文芸社」からは、びっくり仰天するような評価が返ってきた、「直ぐに小説化しましょう!この様な書き物を埋もれさせておくのは世の大変な損失です」ときた。「げぇ何じゃこれ!」と「ブタが木に登りかけた」。時期が時期であった、私が取り上げた題材「オジン・クラーク救急医療現場を行く」が正に時代のトレンド、メディア報道が来る日も来る日も「救命患者盥回し=悲惨な患者死」と報じ続けている最中の「物語」提案であったからだ。

 しかし当方に事情があってそのトレンド時期には小説出版化が叶わず、およそ6年後の今日の出版化となった。

 世間様にどれだけ受け入れられるかは分からないが、取り敢えずは世に提案できたことを無上の喜びと感激に咽んでおります。

瀬戸内 開

ダイバーシティ・ダイヤモンドユニットファミリーサポート講習会を終了して

 標記は聞きなれない題名であるが、「東京医科歯科大学・同病院、順天堂大学・同病院並びに(株)二ッピバイオマトリツクス研究所」に働く「女性医師・女性研究者」方の為の子育て支援講習会のことである。

 その内容は、乳幼児、保・幼稚園児、小学校低学年生を有して社会・企業で活躍している女性を後押し手助けしてゆくボランティア活動家の養成講座のことである。

 ファミリーサポート活動とは、一般的には社会進出の女性達が勤務・拘束時間中に子供たちのことを何ら心配することなく、仕事や研究に集中出来るようバックアップしていくことであり、具体的にはお母さん方が仕事の間中、【子供さん方のお預かり・見守り・塾や学童保育等への送迎etc】を責任を持って引き受ける事である。

 責任を持ってとは、正に【お預かりした子供さん方を事故・危険・怪我などから守り通し、尚且つ明るく健康的な寄り添いを果たして後、子供さん方を心・身ともに健全な状態で親御さん達にお引き渡しをするといったことである。

 ただ親御さん達との約束時間をお子達の傍に居続け、時間が来ればお返しするといった安易なお預かりは、決してファミリーサポート活動とは言い難い。

 社会で活躍しているお母さん方の「大切な【お子方のお命】をお預かりしている」、「他人様の【お子のお命】をお預かりしている」という緊張感を持ち続け、親御さんにお返しするその瞬間まで【お子達の平安な精神状態を保ったままでお命】を見守り続ける覚悟を持っての活動であると、この度の7日間の講習でしっかりと教え込まれた。

2月10日 13:00 開講式 平井伸英 東京医科歯科大学 準教授  

      14:30 「保育の心」 小俣みどり NPOピッコロ 理事長

2月17日  9:30 「心の発達と保育者のかかわり」 湯汲英史 (社団)発達協会 常務理事・早稲田大学非常勤講師・言語聴覚士精神保健福祉士

      13:30 「障がいのある子の預かりについて」 講師同上

2月19日  9:30 「子どもの遊び」 大森靖枝 劇団 風の子

      13:30 「子どもの暮らしとケア」 小俣みどり

      16:00 東京医科歯科大学 学内保育所見学

2月23日 10:00 「身体の発達と病気」 森丘千夏子 東京医科歯科大学大学院 発生発達病態学・小児科医

      13:00 「小児看護の基礎知識」 吉野 純 杏林大学保健学部看護学看護学専攻 小児看護学 准教授

2月26日 13:30 「普通救命講習」 末松好夫 救急救命士 本郷消防署・東京防災救急協会

3月 1日  9:30 「事故と安全」 小俣みどり

      13:00 「子どもの栄養と食生活」 吉田朋子 管理栄養士 NPOワーカーズ・コレクティブ ちろりん村 

3月 4日 13:00 「保育サービスを提供するために」 小俣みどり

      15:40 修了式・終了証授与 有馬牧子 東京医科歯科大学 学生支援・保健管理機構 学生・女性支援センター 男女協働・キャリア支援部 助教 医学博士

DDユニットファミリーサポート 電話 03・5803・4173        〒113-8510文京区湯島1-5-45東京医科歯科大学DDユニット事業推進室